魂尺界からの指令も無くうららかな日差しが差し込む日曜の午後。部屋の主は、のんびりとベッドの上に寝そべって
お気に入りの洋楽を聞きながら雑誌をぱらぱらとめくっていた。


「一護ー!ハサミを貸してくれ。」

そんな貴重な時間は、居候の女子高生死神様の一言で消え去ったのだった。




ほらよ、と主がハサミを手渡す。そしてまた自分の時間へと戻る筈だった。
しかし、主は妙な違和感に気がつく。先ほどふと見た彼女は何も持っていなかった。
お菓子の袋を切るでもなく、洋服のタグを切るでもなく、もう1人の住人の糸を切るでもなく。
それでは彼女は何を切るのか?

主は、気になってしょうがなくなった。しょうがなくなって雑誌どころではない。元から歌詞には気にも留めていなかったが
洋楽は右の耳から左の耳へと抜けていく。嫌な予感がする。勢い良く彼女の方に顔を向けた。
そして・・やっぱり自分の直感は当たっていた。

「オイっ!ルキアてめぇ何するつもりだ!?」

彼女の右手には先ほど手渡した切れ味の良さそうなハサミ、左手にはチャームポイントの斜めに流れた漆黒の一筋の髪。
そして、銀色に光る刃と刃の間に、小さな手でぎゅっと掴んだ髪の束が挟まっている。

・・・・彼女が右手を少し動かしたら、どうなるかはお分かり頂けるであろう。


先ほどの主の声に吃驚した彼女は、ハサミを持つ手に少し力を入れてしまった。
その弾みで、短い毛束が下へ流れ落ちる。

彼女は大層機嫌を損ねた。自分の小さな計画が主の声によって崩れてしまったからだ。
先ほど切れた部分だけ、明らかに直角の痕跡が残っている。小ぶりだが形のよい唇を尖らせ、主へ文句を浴びせた。
あのままだと明らかに今より酷い状態になってたろ、と主は反論をするが、そんなこと彼女は認めない。認めることは負けだからだ。
言い合いは白熱し、昨日のプリンの話までさかのぼって行った。
前髪のまの字も出てこなくなった頃、部屋の主は大きく息を吐き、暴れる彼女からハサミを取り上げた。

今度はハサミを取り上げたことで彼女の頭の熱は2度程上昇した。こうなると、らちが明かない。

そんな彼女の頭をぺしっと押さえ、主が言い放つ。

「あーもー、俺が切ってやるから。それで勘弁しろって。」


彼女は面食らった。

「一護は髪が切れるのか?」

主は押入れの奥から昔使ったのであろう子供用のレジャーシートを取り出し、床に敷きながら返答する。

「まぁな、遊子や夏梨の髪、結構切ってたからさ。」



椅子を引き、そこに彼女を座らせて 首周りにタオルを巻き、洗濯バサミで固定する。
なんて手際の良いことだろう。そこから察するに、主の発言は本当のようだった。
準備も整ったところで、主が言う。

「で、前髪切るんだっけ?」

彼女はうっすらと笑いながら返答した。

「そのつもりだったがー・・・折角だし、全体的に整えてもらおうか。」

どうやら、先ほどの事をまだ根に持っているらしい。
主は面倒臭い・・と思ったのであろう。悪態をつきながら彼女の髪に手を掛けた。



彼女の髪はとても艶やかで、そしてとても指通りがよかった。
毎日毎日の虚退治や、学校での慣れない勉学・・・手入れをする時間など十分にないであろう。しかし、それを感じさせない、 それほどに美しい黒髪であった。

(自分から言い出した事とは言え、なんで俺が髪を切らないといけないんだ。)

そういう気持ちに支配されていた主の心も、彼女の滑らかな髪が少しづつ溶かしていった。
そして心が落ち着いた頃、主は、ハサミを入れていった。
シャキ、シャキ というハサミの軽快な音で、主の心のイラつきは、もうどこかへ行ってしまったようだった。

主の心だけではなく、彼女も機嫌が良くなったらしい。
この前テレビのCMで流れていた曲を口ずさんでいる。主からは顔が見えないが、とてもにこやかであった。
しかし、サビの部分しか覚えていないらしく、すぐにまた戻って同じ部分を歌い直す。
そういった時間が、主にも、彼女にも、安らぎを与えてくれた。



しばらくして、後ろ髪が全て整えられた。あちらこちらへ向いていた毛束が程よく纏まっている。
多少梳いたのか、首筋から肩にかけて流れる毛束が涼しげだ。
いつも切っているというだけあって、美容師顔負けの仕上がりであった。

「ほれ、今度は前髪だ。目つむってろ。」

うむ、といって彼女はぎゅ。っと目を瞑った。主は彼女の前に移動する。そして、その様子を見て噴出しそうになった。とてもほほえましかったからだ。
しばらくして力を入れるのに疲れたのか、彼女の瞼に寄っていた皺が無くなった。主のこらえた笑いはまだ落ち着かない。

ようやく落ち着いた主は、彼女の前髪を見る。そして手際よく切っていかなければならない。


その筈なのに、どうしてか、主の目先には彼女の瞼があった。
その頬と同様、白い瞼に、目を開いてるときとは違う、うっすらとした二重の線がある。
そしてその少し下には、その髪と同様、黒くて、艶やかな睫毛が。

目先はどんどん下がっていき、白い中にぽつんとある、小さな唇にたどり着いた。
化粧などしていないであろうその唇は、自然な、血色の良い紅色をしている。そしていてとても瑞々しい。

主は、はっとなった。ぽーっと蒸気を帯びていく己を押さえ付け、前髪に手を掛けた。
先ほどと同様、手際よく整えていこうとする。


シャキ シャキ シャキ

彼女の失敗した直角の部分をまず整える。

シャキ シャキ シャキ

全体的に、長さと、量とを調整していく。

シャキ シャキ シャキ。



彼女は、まだ飽きもせず同じCMソングを歌っている。
ハサミの音は相変わらず軽快だ。


それなのに、主だけは違った。


先ほどと変わらない音、空気が、まるで拷問の様だった。主には、それが何故だかわからない。いや、わかっていたのかもしれない。
でも認めはしなかった。

目先が、前髪と、彼女の・・・どんどん潤いを増していく様に見える小さな紅を、行き来している。




一筋の前髪を整えるだけなのに、とても時間がかかっている。
不信がった彼女が、主に声をかける。
「一護、まだ終わらぬのか?」

ちょうど目先が唇にあった主は、はっとした。そして急に、自分がいけないことをしている様な気分に襲われた。
前髪は、もう、ほとんど整え終わっていた。おう、もう目、あけていいぞ。そういわなければならない。
しかし、そう言おうと考えてる頭を無視し、勝手に口から言葉が出た。

「悪ぃ、髪の毛が口にかかっちまった。叩くから待ってろ。」





白雪の中の小さな紅に乗せられたのは。


タオルでも、毛束を弾く指でもなく。


同じく、その紅より一回り大きい、紅であった。



不自然がられないよう、気づかれないよう。その接触は一瞬であった。

名残惜しく、主から息が漏れる。




「終わったぞ。」

その声と同時に、彼女の瞼がばちっと開いた。目線が主を捕らえる。

「ありがとう、一護!」

とても嬉しそうな彼女の顔を、主は直視できなかった。上手く言葉も出てこない。
返事代わりに自分の持っていた手鏡をぶっきらぼうに渡した。
彼女は機嫌が良いので、主の異変に気がつかなかった。

彼女は鏡を見てさらに喜んだ、そして、「一護はこれを職にできるのではないか?」と主を褒め称えた。
どうやらよほど気に入ったらしい。



彼女が純粋に、まぶしく、喜べば喜ぶ程、主はその顔を直視できなかった。
そして思ったのだった。彼女から見える自分の顔が、逆光でよかった。と。





●イチルキ初SSですー。文体が意味不明でごめんなさい(笑)